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県スキー連盟の動き
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スキー界の動き
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社会一般の動き
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| 1939(昭和14年) |
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●神奈川県スキー山岳連盟 横浜駅前新興倶楽部で結成(2月17日)
初代総裁、大村清一(県知事) 会長、中原啓造、 副会長、弥富元三郎
●第1回神奈川県スキー大会(志賀高原)
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●第1回全国皆スキー行進開催
●第1回指導員検定講習会五色で開催
●技術検定制定(12級)
●「今日のスキー」福岡孝行邦訳出版
●ハンネス・シュナイダーがノース・コンウエイにスキー学校開設
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●ノモハン事件
●第二次世界大戦始まる
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| 1940(昭和15年) |
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●総裁、飯沼一省、会長 、清水虎雄
●第10回明治神宮冬季国民体育大会神奈川予選会兼第2回神奈川県スキー大会(志賀高原)
●SAJへ加盟。会員数は1093名
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●「フランススキー術」邦訳出版
●国鉄一部の列車にスキー持込禁止
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●砂糖・マッチの切符制始まる。
●日・独・伊三国同盟調印
●第12回オリンピック(東京)第2次世界大戦のため中止 |
| 1941(昭和16年) |
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●総裁、松村光麿、会長、桃井直美
●第11回明治神宮冬季国民体育大会神奈川予選会兼第3回神奈川県スキー大会(志賀高原)
● 第11回明治神宮冬季国民体育大会(小樽)に神奈川選手団初参加
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●SAJ特別指導員制度制定
●全日本スキー連盟財団法人化
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●太平洋戦争開戦 |
| 1942(昭和17年) |
●総裁、近藤穣太郎
●第4回神奈川県スキー大会(志賀高原) |
●日本体育協会発展的解消し、財団法人日本体育協会(会長、東条英樹)が誕生。各スポーツ連盟はその部会として発足
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●米空母発進の16機、東京・名古屋・神戸など空襲。
●ミッドウエイ海戦 |
| 1943(昭和18年) |
| ●第5回神奈川県スキー大会(志賀高原) |
●第13回明治神宮国民練成スキー大会兼第21回スキー選手権大会(奥日光)
●「スキー年鑑」第16号刊行、以後休刊 |
●連合艦隊司令長官 山本五十六戦死。
●学徒出陣
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| 1944(昭和19年) |
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●第14回明治神宮スキー大会
●第22回スキー選手権は中止
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●第13回オリンピック(ロンドン)第2次世界大戦のため中止
●神風特別攻撃隊編成 |
| 1945(昭和20年) |
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●財団法人全日本スキー連盟再発足
●日本のスキー界の恩人レルヒ氏没す |
●原子爆弾投下
●終戦 |
| 1946(昭和21年) |
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●第1回国民体育大会冬季スキー大会兼第24回スキー選手権大会中止
●指導者講習会開催(野沢)
●社会体育指導者講習会開催(横手、小千谷)
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●極東国際軍事裁判開始
●日本国憲法公布
●第1回国民体育大会京阪神各競技場で開催 |
| 1947(昭和22年) |
●会長、大仏次郎
●戦後、第1回兼スキー大会開催(赤倉)参加者は100名。主に工場団体。 |
●第2回国民体育大会冬季スキー大会兼第25回スキー選手権大会(野沢)食料と資材不足で中止
●第20回全日本学生スキー大会のみ開催(小樽)
●指導員検定講習、技術章認定制度(1〜3級)復活
●全日本スキー連盟、基礎スキー部を設ける |
●教育基本法公布
●改正民法公布
●古橋広之進400m自由形で世界新記録 |
| 1948(昭和23年) |
●県スキー大会、国体予選、都市対抗戦を兼ねて開催(志賀高原)
●戦後初の第3回野沢国体に参加 |
●第3回国民体育大会冬季スキー大会兼全日本スキー選手権開催(野沢)
●第5回冬季オリンピック大会(サンモリッツ)日本不参加
●SAJ「一般スキー術」刊行
●基礎スキー部誕生
●全日本指導員検定制度復活 |
●新制高校・大学発足
● 極東国際軍事裁判下る
●第14回オリンピック(ロンドン)日本は不参加 |
| 1949(昭和24年) |
●会長、尾関廣
●一般スキーヤー増加のため、スキー部と山岳部を設け活動
●県スキー大会、国体予選、都市対抗戦(赤倉) |
●スキー年鑑復刊第17号発行 |
●シベリア引揚
●全米水上選手権大会で古橋広之進自由形で世界記録樹立
●湯川秀樹博士ノーベル物理学賞
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| 1950(昭和25年) |
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●県民スキー講習会初めて開催
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●SAJ「基礎スキー教科書」発刊、外傾とローテーション |
●満年齢制の実施
●千円札の発行
●朝鮮戦争勃発 |