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Ski、好き、スキー!
伊藤明子


                                      2001・8

 

◇負けたくない! 一生懸命だった
 シーズンが終わった!と思ったら、もう次のシーズンがやってくる。いつもなら、10月の終わりから2週間ほどはスクール(八方尾根スキースクール)の合宿で、海外に行く。春から今の時期まではアルバイトをしながらも、朝や休日と時間を見つけてはトレーニングをしていた。春にどっと増えた体重を落とし、贅肉を筋肉にするために家でも鉄アレーを持ったり、バランスボールに乗ったり、チューブを引いたり…。負けたくない(他人にも自分にも)ために一生懸命だった。

 

◇就職が内定した会社が倒産…
 大学時代にスキーのサークルに入り、八方に行き、望月さん(望月弘文 元デモ)の家に居候し、内定していた会社が倒産してキッツメドウズ(大泉・清里スキー場)に就職していなければ、きっと今の自分はなかっただろう。まわりは大学卒業とともにO.Lになり、結婚していく中で「どこで道を誤ったんだろう?」と思ったときもあったけれど、選手を辞めた今、一生懸命に打ち込めることがあるって素晴らしいことなんだ、としみじみ思うことがある。勝つために努力するって当たり前にできることじゃないんだ、と思う。競技して、満足して「楽しい」と思うことって貴重な体験だったんだ、と思う。スキーを通じてできたたくさんの仲間は私の財産なんだ、と思う。

 

◇一切のトレーニングを止めたとき
 今年の5月から私は一切のトレーニングをしていない。体重も一切気にしてない。それなのに今までトレーニングをして必死に落とそうとしてきた体重は、今年は何もしていないというのにメキメキと8キロ近くも落ちていった。と、ともに筋肉も落ちたのだろう。なんだか悲しい気がした。今まであれだけ必死に減量を望んでいたのに…。いつもなら、5月頃に白馬から実家に戻り1、2週間のんびりとすると、「やらなきゃ、負ける」という恐怖心と「来年こそステップアップしたい!」という気持ちからトレーニングをしないといられない心境だった。

 

◇毎日車で40分の町営スキー場に通った
 キッツメドウズに勤めていた頃は時間を見つけては朝、夕問わずスキー場の頂上まで走った。仕事が終わると、私と同じく技術選を目指していた同僚の男の子と筋トレをした。トレーニングジムがあるわけでも専属トレーナーがいるわけでもないから、自分たちができることを精いっぱいやった。自分たちのトレーニング方法が正しいかどうかわからないから、すごく不安だったりしたけれど、「やらないよりはいい」と信じて続けた。冬にはほとんど毎日、車で40分近くかけて(凍結している上に真っ暗で恐い道!)一番遅くまでやっている町営のスキー場で練習した。寮の門限を破って…。お金はかかるわ、疲れてスキーウェアで寝てしまうわ、まともな夕食が食べれないわ(少しでもスキーをするため、リフトの上でチョコや車中であんまん程度だったりする)、今思えば、よくやった!という感じだ。

  ◇そして八方に戻る
 就職して3年半、八方尾根スキースクールに出戻った。「会社を辞めてまでやるのだから成績をだしたい!」という気持ちから、退職金と貯金をはたいてスクールの合宿以外にデモの人たちに混じっての海外キャンプにも参加した。自分よりもレベルの高い人たちが大勢いる中でのトレーニングは、ものすごく刺激的だった。はじめは自信のなさから萎縮してできるものもできない状態だった。でも、「とにかく少しでもこの人たちに近づかなきゃいけないんだ」と言い聞かせた。そして、トップの人たちとの大きな差は技術以上に「自信」だと思った。それからはとにかく自信をつけるためのトレーニングを考えた。どんな状況でも「できる!」「見てろ!」と思える自信をつけるトレーニング…。振り返れば、いろいろやったなぁ…。私の中で走るということは基本だったけれど、とにかくやるだけやったという自信をつけるために毎朝バイトに行く前に走った。幸いにも自宅近くには海岸があるから砂浜を走った。(砂浜を走るのって、けっこうきつい!)裸足で走ったり、瞬発力がないから波打ち際から波に追いつかれないようにダッシュをしたり…。バランストレーニングにいいかな?と一輪車を購入してみたり、もっとも弱いと感じていたメンタルを鍛えるために、ある本で見つけたメンタルトレーニングを研究している先生を訪ねて行ったこともある。
基本的に目的に向かって「練習する」ことは好きだから、技術選に向かってトレーニングしている時間は陸上でも雪上でも好きだった。
 

◇県予選は特に緊張
 ただ、やっぱり本番になると緊張する。県予選は特にだ。ここを通過しなければ私が目標としている「技術選」には出られない。ここで終わると残りのシーズンはもう次のシーズンへのトレーニングだ。入社1年目のとき県予選で落ち、応援してくれていた同僚の慰めのことばがとても辛かった。だから、絶対に県予選は通過しなければいけない。常に「県予選通過は当たり前なんだ」と言い聞かせているものの、やっぱり恐かった。「私の滑りが嫌いな人や私を落としたいジャッジがいるかもしれない」。そんなアンフェアな考えをもったりする。急斜面に立つと何年も前の数ターンしかできず、ゴール付近まで転げ落ちたときの光景が頭を過ぎる。けれど、こんなときに力を発揮するのが「自信」だ。「あれだけやったんだ」、「絶対に大丈夫だ」、こう言い聞かせる。そう思わせる。そして堂々と滑りきる。吹っ切れたとき、思い切れたときはビシッとゴールできるものだ。自信はときに練習以上の力を発揮すると思う。

 

◇全日本では、もっと上に行く!
  結果が1位以外のとき、本音を言えばものすごく悔しい!技術選で「1位」なんてとうていとれっこない。ならば、ここでしか…。そういう気持ちもある。けれども、1位以外のときには「絶対に全日本ではみんなよりも、もっともっと上にいく!」というバネにする。とにかく何でも次につながるように都合の良いように考える。県予選から全日本までは約1ヶ月。この間にめいっぱい自信をつけるトレーニングをする。技術を磨くより難しいことかもしれないと思う。私が信念としていたことばに「他人に勝んと欲すれば、まず自らを征す」という言葉がある。その通りだと思う。私はデモの人たちや雪国の人たちのようにアルペンで活躍していたわけでもないし、スピードには極めて弱い。根っからの基礎スキーヤーだ。でも、土俵は同じわけで、そんなことは理由にならない。負けたくなければ自分を鍛えるしかない。そう思って12年、やってきた。私と同じ根っから基礎スキーヤーの宮崎友見子さんがデモになれたんだから、私も目指せばできる!そう信じてデモを夢見たこともあった。でも友見子さんの努力はハンパじゃなかったはずだ。結局私は予選通過が精いっぱい。昨季の37位が自己最高ランキングだ。オリンピックで「やっぱり金がいいです〜」の田島選手ではないけれど、やるからにはやっぱり頂点がいい。「出ることに意義がある」とか「結果ではなく過程が大事」などという言葉は終わってから言うこと。一生懸命やって結果が出たとき、出たことも結果も過程も素晴らしい意義をもつと思う。

 

◇ぜひ「スキーと闘う」
 そんな素晴らしい意義を感じられたから、今までスキーを辞められなかったのかな?でも、辞めなかったからこそ、その素晴らしさを感じられたんだろう…。う〜ん…、どっちが先かよくわからないけれど、引退した今になって「今まで本当に楽しかったな〜、こういう環境にいられてよかったな〜」とつくづく感じる今日この頃なのです。(両親や周囲の人には心配をかけてしまったけれど…)

スキーへの携わり方にはいろいろあると思いますが、今目標ややりがいを欲している方がいれば、ぜひ「スキーで闘う」ことも考えてみてください。きっと、刺激的な仲間も増えるはずです。

 
 
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