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 (財)長野県スキー連盟副会長 丸山仁也氏 講演

平成15年11月2日(日) かながわ労働プラザ 競技指導者セミナー

写真:講演風景
興味深い講演にくぎ付け

写真:講演風景
丸山仁也さん

・丸山仁也氏(まるやま ひとなり)
・財団法人長野県スキー連盟 副会長
・国際スキー連盟委員 FIS公認TD
・長野オリンピックスピード系男女競技委員長
・スキー王国NAGANO 事務局長
・ ホテル ヴァイサーホフ八平 オーナー

◆長野オリンピックから6年が経過
 長野オリンピックから6年が経過しました。いやなことは忘れ、良いことが頭に残っています。今朝の八方尾根は霧がたちこめた状態でした。この山を見ていると、ルッシーと何回もこの山を歩いたことを思い出します。(アルペンコース設計の第一人者ベルンハルト・ルッシー)

◆八方尾根に決定した経緯
 なぜ、あんなにもめたのだろうかということです。長野がオリンピックに立候補して決まりました。ダウンヒルの会場は、いろいろなところにも配慮があり、志賀高原の岩菅山案が、自然保護上の問題によって新たな開発を伴わない既存施設を利用することで、八方尾根が選択されたのです。その経過を踏まえれば、新たな自然破壊を生まないということで、八方尾根のスタートは上げないということでした。しかし、実際の八方尾根は、1900mまでリフトもかかっていて、お客さんにも使ってもらって来た斜面でした。結局、各所を見回ったのですが、八方尾根が最適だと思われました。スターを上げない、自然との共存がテーマとなるわけです。


◆やはりスタートをあげなきゃ駄目だよ
 ルッシーが来て、やっぱりこの山は上があるから上げなきゃだめだよと言ったのが、1993年だったと思います。様子を見ながらやっていましたが、私自身、オリンピックが終わるまで憎まれ役とならざるをえませんでした。
 一番の理由は、滑降の特性、技術系やスピード系の競技特性をどう考えるべきかがテーマでした。普通、選手が自分の敏捷性をスムーズに出していけるのが1分10秒ぐらいが限界だろうと言われています。ですから、技術系はこの時間を超えないようなところを目安に、1本目2本目とやっていくわけです。スピード系は、1分10秒で乳酸値が上がってきて、硬くなり、足が動かなくなる、もがきの状態に入ったとこから、30秒〜40秒競技をさせたいというのがスピート系の特性なのです。たとえば、長野のコースデザインしたルッシーは、技術系から入っています。選手時代にコーチから君の特性はスピード系だと言われて、世界選手権の年1970年に変更したのです。シーズン初めに100番ぐらいのシードで滑っていて、2回ほど優勝しました。スイスチームです。夏からトレーニングしているのですが、全然違います。1分10秒からどれだけ身体を動かしていけるか、そういうトレーニングをしているわけですから、長野のオリンピックのコースの設定も、そういう要求をしてくるわけです。
 オリンピックの前の年はワールドカップ、その前は国内大会。レベルアップしながら迎えるのが通常の形であり、スタートを上げる話は、最低でも2年前に決着しないと大変と言うことでした。そのときのスタートが1680mアルペンリフトの終点でした。結局スーパーGで大会を行ったのですが、トレーニングタイムが1分30秒でした。これでは足りません。ワーキンググループでもこれでは駄目だ、技術系の選手でもスピードに強い選手がいれば勝ってしまう。どうやったって、スタートを上げなければいけないということがありました。

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写真:講演風景
丸山仁也さん

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丸山仁也さん

◆国際スキー連盟の要求と自然破壊の狭間で
 結局、長野県知事まで話にいったのですが、国際スキー連盟の要望として自然環境の問題は、地表に一切触れることなく、スタートハウスも雪を固めて雪の上に置くだけという説明をしました。知事も理解を示してくれ、可能性も感じましたが、NAOCには競技の本質の理解していただけませんでした。現場の役員が一生懸命、コースの準備をして大会運営しても、1分30秒だと、コース満点、運営満点でも、評価は60点なのです。最初から設定が間違っていると言われてしまうのです。
 国際スキー連盟は、滑降コースの標高差を1100mまで上げました。理由は、選手の技術が上がる、用具が良くなる、コースが良くなるとあるのです。ウエンゲンの大会など昔なら2分10秒かかりましたが、今は1分50秒と、20秒近くも早くなってきています。そういう進歩の中で、2分近い目標を作りたい。しかし、世論は、国際スキー連盟は自然の破壊者だと言われるのです。

◆登山道を飛び越す…
 オリンピックを迎える年が一番の山場でした。長野県の副知事が現場の視察に来ました。コースの中に登山道(国立公園第一種特定保護地域)がでていてこれが問題だったのですが、「飛び越すとかできないか」という一言をいただきました。これはいける「いただきます」ということで、感謝を込めて採用することにしました。まことにうれしかったです。


◆安全かつエキサイティングなコースを造るか
 
安全でかつ、エキサイティングなコースを造るか。ルーシーのセンスも重要です。当初は、アルペンリフトの上から行って、左側を入って黒菱の小屋に向かて70m〜80mの大きなジャンプをさせて、それから右にトラバースさせて戻そうという話をしていて、アルペンリフトを建て替えると言う話がでて、わざわざスペースを空けるために、南側に寄せたのですが、そのあと、環境問題がでてきて、どうやっても出来なくなりました。それでも実現できることになったので、ほんとうに良かったと思っています。

 われわれは自然を壊すつもりはなく、雪の上の中でなんとか最大限のものを引き出すことでした。

◆日本の雪はなかなか固まらない
 そうやって設定して、本番を迎えました。レースということになると、国際スキー連盟には、プロフェッショナルレフリーがいます。彼ら2人が夏のうちからコースを見ながら、安全計画を立て、冬はコースの状態が整っていくところで、いろいろチェックをしていきます。技術代表は微妙な最終判断の立場、我々の協議した安全計画のチェックします。
  コース整備も簡単には行きません。降雪設備を全コースつけないと、日本の雪は固まらないのです。自衛隊が何千人来てツボ足しても固まりません。こう言うことは判ってもらえません。降雪設備15〜6億の見積が6億まで落ちて、なんとか導入もできました。1月の後半から、降っている雪の中に混ぜろとやりました。手を抜くと中にふかふかした層が出来てしまいます。こつこつやることが重要なのです。


◆八方尾根のコースは世界一安全なコースが作れる
 圧雪をやって、いろんなことやりました。全コース40センチぐらいの氷の面を作りました。八方のコースは幅があるので、世界で一番安全なコースが造れるのです。Aネット、Bネットがあると、安全だと思いますが。Bネットが一番安全を確保します。2mの高さで柔軟性のあるネットを使っていますが、両サイドに張ります。1枚でよいところは、ギャラリーネット。危ないところは、1枚目、2枚目、3枚目が必要。1枚目と2枚目は2m以上が必要になる。1枚目でスピードが落ちる、2枚で落ちて、3枚で停止ということになります。コース幅が広いということは、安全であるコースがつくれることになります。
  硬くしておくと何が良いか、滑落して流れることはあっても、スキーが刺さったり、ねじれたりすることはないのです。多少、擦過傷があっても、打撲があっても怪我は非常に少ないのです。これもポイント。そういうことを、毎晩考えながらコースを造っていました。

◆国際スキー連盟も大幅に歩み寄ってくれた
 実際、最大に安全な施設を作れたと思っています。実は、男子の滑降コースのフィニッシュ前に細尾根があります。どう計っても14mしかないのです。どうするのだと言ったら、ルールを変えてくれるという。当時は最低30mだったのですが、部分的に満たないところが有っても良いと付け加えてくれた。それから、ジャンプで飛んでいくとリフトの線化があります。基本的に線化横断は駄目だったのですが、安全が確保されれば線化を使っても良いと、国際スキー連盟が大幅に歩み寄ってくれました。もうひとつ、鉄パイプで金網がはってあり、そこに20センチのマットを設置したのです。方向さえ出していけば安全確保ができるということで、これも許可がでました。

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写真:講演風景
丸山仁也さん

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◆1本目のトレーニングの時は、うれしくて…
 実際、コース準備して、第1本目のトレーニングが始まったとき、うれしくて、サングラスから水が流れて困りました。オーストリアチーム、7名の選手の中で、ヘルマンマイヤーは出場が決まっていましたが、あとの選手は決まっていないのです。1日目のトレーニングでベストの選手が選ばれ、2日目でベストの選手が選ばれということで3日間トレーニングができないと、選手は選べないので、丸山さん絶対3日間やってくださいと言われたのです。

 水をまいて、ビシっとかためて、どこへだしても恥ずかしくないコースができあがっていました。快晴で行った1日目のトレーニングは、本番にして欲しいくらいでした。実は、ヘルマンマイヤー本番で転んだと所でトレーニングを見ていたのですが、他の国の選手達は代表が決まっていますので、少し首を上げながら、覗くように入ってきたのですが、オーストリアの選手達は頭下げてそのまま入ってきました。バーンと入ってくるのを見て、やった!と思いました。 代表に選ばれたい選手も真剣でしょうが、我々は造った甲斐があったと感じました。3日目は、少し曇ったのですが、陽も射してきて、トレーニングは最高でした。


◆本番はしだいに天候が悪化
 本番の前日、雪が2センチから3センチあると言われたときに、一晩中プルークをかけて絶えず表面を出しておこうと言うことで、競技役員は、23時全員1200人ゴンドラ終点集合としました。何人かづつコース整備に出して、コースを確保しました。ゴンドラも11時まで上げてもらいました。上で待機しながら、一晩中コース整備を行いました。朝、空を見上げると、仁王様の手のような雲がカラマツから出てきて、いやな雲だと思ったら、スタート地点にガスがでてきた。どうしようか、どうしようか。

 前日、もし天気が悪かった場合、カメラの移動がどれくらいでできるテストをおこなったのです。最低2時間と言われましたが、1台だけなら15分でした。技術代表の頭の中では、最低限でも15分で移動できると思ったようです。ルッシーもそうです。いかに、与えられた条件の中で勝負をしてしまうか、と考える彼らですからしかたがない。

◆スタートを下げる?
 だから彼らは、スタート地点がガスなら、スタート下ろす、なんとかなる。そういう判断したのです。そこで、カメラは移動できるかと言われた。「ヤバイ」。これまでもめてもめて、せっかく上げたスタートが、このままでは終わってしまう。全部のカメラを移動するのに1時間半かかると連絡した。昨日15分でできるといったじゃないかと怒っている。それは、カメラ1台だけ。全部移動するには時間がかかると説得。ぶつぶつ言いながら,中止となった。

 そこで、選手は全員横滑りで降りていった。ちょっと下がると快晴。選手は各所で観衆とパフォーマンスしながら降りて行って。そのうちにトランシーバーから、お呼びがかかった。下で荒れていると言う。小屋に行くと、「下にきたら快晴じゃないか、そしてこの観衆だ、スタート下げたら出来たじゃないか!」と言うわけだ。スタート下げられてたまるかというのもあったので、おれたち3年4年で苦労して、たった、今日1日でスタートを下げるのは許せないと言った。何としてでも上でやると言った。結局支持すると言ってくれたが、収まらなかったようだ。

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丸山仁也さん

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◆残念だったが安全の証明?
  ヘルマンマイヤーがひっくり返った。アルペンリフトの横から飛んで、そのまま、飛ばされたのです。ラインを出して飛んだならともかく、彼の技術でも空中では立て直せるものではありません。70mぐらい吹っ飛んで回転しました。防護ネットが3枚あったのですが、2枚目も突き破って3枚目の新雪にコトンと落ちました。どうなったかと心配していたら、スキーを持って歩き始めたのです。(ヘルマンマイヤーが転倒したのは国立公園第一種特定保護地域を飛び越えるためにつくられた「ウィッチウエーブ」の先にある地点)

  あぁ、Bネットは正解だったなと。切れてしまいましたので、ポール3本付けたBネットのスペアを、すっぽり入れ替えるのです。急斜面のカリンカリンも斜面でドリルで穴をあけて取り付けます。急斜面で、氷ですから、滑落したらそれで終わり。滑落している間にポールにつかまろうとして手をぶつけて骨折をしたスタッフが何人もいました。

◆目標のタイムを出すことが出来、世界に誇れる
 期待したヘルマンマイヤーは駄目でしたが、トップのタイムは1分52秒でした。これは目標としたタイムでした。サラエボまでは2分と言う目標タイムがありました。以後、明記されることはなくなりましたが、共通の目標として暗黙に存在するのです。NAOCはそれが理解できない。そのタイムが出せて,本当に世界に誇れると思いました。

 オリンピックイヤーの年に総会があるのですが、その席で、「IOCがおかしい、あんな天気の悪いところを選んだのが間違いだ」と言う意見がでました。そのときに、天気は悪かったがコース整備が悪くてレースが中止になったことは一度もありません。毎朝、きちんとコースが整備されていたと言ってくれた。それを知っている連中は立ち上がって拍手をしてくれました。私は、その席にいたのですが、かかわってきた苦労が報われた気がしました。

 どうやってよいレースをするか、それぞれの専門家が、絶えず考えている。それがまとまったとき、長野のオリンピック、ダウンヒルが成功したと思うのです。

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丸山仁也さん

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◆雫石の体験で「身体は持つ」
  さらに5年前、雫石で世界選手権がありました。そのときも競技委員長やってました。台風のような雨がふって。そういうなかで、最終日のスーパーGを遣り残しました。あの時、夜11時ごろ帰ってきますが、旅館の食事はもうありません。熱いシャワーあびた後、裸のままバスタオルを腰に巻いて、あぐらかいたまま寝てしまいます。そして、朝5時に起きて出て行くのですが、これも食事なしです。きるものも昨日と同じ。胃袋をやられて、胃薬を箱で買ってきて、胃が痛くなると薬を飲むのです。これで1時間ぐらい効きます。そんな調子で、食事は1週間に3回ほどとったのを覚えています。ずいぶんとウエストもしぼれました。そういう体験から、「身体は持つ」ということを覚えてしまいました。だから、どんなに天気が悪いときでも、競技委員長として現場を歩けるのです。

◆クソじじいが疲れたと言わないと、俺らは休めない
 
最高の条件はどうやってつくれるのか、まさに戦いです。結局回るしかありません。現場に入って、各班長と話をしながらココをこうして、と指示をだして直していきます。トランシーバーに入ってくるコース係長の声が曇っているのです。おかしいと思って、パトロール小屋に入ってみたら、コース役員が腰が痛くて横になっていたのです。もちろん寝てはいませんでしたが。そうやって脅かしたりしていると、聞こえるんです。「くそじじい」。「クソじじが疲れたと言わないと、俺らは休めない」という声が。競技委員長が休まない限り、みんな休めない。これを逆に取ってやりました。それからずっとコースをまわりつづけました。おかげで良く把握することができた訳です。

◆俺は雷を落とすことはあるが落とされることはないと、笑ってやった
 本番の前の日の天気、朝、みぞれが降って、雨が降って、雷がなって、雪が降った。雷がなっているときにNAOCから避難命令がでました。自衛隊の隊長からも、命にかかわりますから自衛隊も上がりますという。ほかの連中からも痺れて大変だという。みんな高層段のトンネルに避難していたのです。みんな避難させて、上に上がりました。それからコースを全部確認して1時間半ぐらいで下に降りました。下で、隊長が、競技委員長はどこからきたのかと聞くので、コースを見回ってきたと言いました。雷はと大丈夫と聞かれて、俺は雷を落とすことはあるが落とされることはないと、笑ってやりました。

 さすがに、命かけているということ、理解してもらいました。アルペン男子の競技役員は1800名、実際のスキーの競技役員が500人。支援隊の本体、予備隊、緊急予備隊となります。みんなそれぞれ苦労したなと思っています。いろんな意味で、成功させたい、最高の評価を受けたいという思いがあったと思います。

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丸山仁也さん

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◆ジュリーメンバーの権限、権利、義務について
 ジュリーの大事なことは、権利の主張の前に、レースをどうやっていくか、まず義務を遂行することが大切です。レースのキャンセルはOCに対する最大のプレッシャーです。キャンセルしても誰も喜ぶ人はいないのです。選手も地元も大変なわけですから。

 技術代表は、一番えらそうに見えますが実は一番辛い立場でしょう。ジュリーメンバーのリーダーとなって意見の調整を図りながら、OCと、そしてRCとリーダーとして、時には先生のごとく対応することが必要です。我慢して説得しながらやっていかなければなりません。

 レフリーはコーチであったり、そういう人を任命します。過去の経験はあっても。今の選手の状況がわかっていないのです。だからレフリーというのは、本当に意味で選手側の代表になります。

 競技委員長は、OCの意向を受けながら、人間を借りているわけで、把握しレフリーの要望、技術代表との要望含めて、現場の中で進めていきます。基本的には、コース係長が技術代表にダイレクトに言うことはなく、競技委員長経由となります。

◆スピード系では自分のエリアの安全を確保するのが仕事
  スピード系になると、レフィリーのアシスタントとしてコネクションコーチを使います。朝のジュリーインスペクションの段階、6時半とか7時とか早い時間です。選手側の安全性を踏まえた中で、コースへの要望もでて、競技委員長はRCのメンバーを使いながら対応します。スタートレフリーからみえる範囲、準備段階も含めて彼のエリアです。競技委員長は、自分の周りにも役員をおいて、なにかあれば、派遣できるようにします。フニッシュエリアに雪がたまって上手くいかないというのは、フニッシュ審判の仕事です。タイムだけ確認すればよいというわけではないのです。安全が確保できるかが最大の仕事です。途中にいるコネクションコーチも同じです。
  技術代表は、時としてリーダー、時として意見集約をはかる立場。選手に対して、良い環境のなかで安全な形で競技ができるようにする目的があります。どうやっても選手が悪いとか、固めようと思ったがだめだとかが、ジュリーが集まってジュリーディしジョンが出てくるのです。


◆技術系では通過普通化問題
 技術系では、通過不通過の問題があります。トップの大会は全然問題ありません。ビデオの義務付け、テレビの中継もあります。ビデオマンがついて、チェックもしています。
  ところが、下の大会になればなるほど、旗門審判の判断が絶対になるので、問題が起きやすいのです。競技委員長、技術代表、レフリーできちんと分割しながらチェックする必要があります。慣れてくると、ポールがパーんといった瞬間に、動いたことがわかる。審判に、取ったかと効くと、えー?というのです。ジュリーは目が肥えていきますし、行かなければいけません。より正確な判断が下せることが必要でしょう。片方では、疑わしきは罰せずというのもあります。

◆選手は抗議は一切できない。再レースだけが選手が意思表示できるのです
  再レースの場合は、選手がその場で停止しなければいけません。アッと思った瞬間止まる必要があります。抗議に関しては、選手は一切出来ません。コーチが行うのですが、再レースは選手が意思表示できます。アメリカでTDやったときに、マリファナやっているお墨付きの選手でしたが、スタートレフリーに、あそこの旗門の内側に倒れていると言ったら、スター採れフリー直したのです。ゴールしたら、前後3秒の適正の中にいない、ディレイスタートで失格ではないかという話になりました。そのときに、選手として抗議してしまったのです。実際はスタートレフリーの指示なのです。ジュリーミーティングで、我々ジュリーがミスジャッジをしたのだからと話したのですが、選手が抗議をしたことで失格だと言うのです。私以外全員失格という意見でした。根底は選手に対してどうあるべきかと考えて欲しいと思います。

 レースの為にジュリーメンバーがどうして必要かといえば、選手に対して公平で安全なことなのです。OCがネッティングで安全確保しますが、それだけではありません。セッターにどういう旗を立てさせるかもジュリーの権限です。そのレースが公平であることが原点です。

 選手への制裁。あきらかに失格をわかっていながらレースを続けたらどうするのか。ワールドカップの選手はそんなことはしません。わかっていますから。明らかに失格したものは滑ってはいけないというルールです。当然制裁を与えるべきときに与えないのも不公平です。心の中に、厳格さと寛大さが必要となるのです。

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丸山仁也さん

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丸山仁也さん

◆技術論について
 カービングスキーが出てきました。スキー技術が変わったのでしょうか。カービングテクニックがあるのか、どう考えるべきか。まだ日本の中で明確でないと思います。アジアチルドレン大会のテストレースを青森でやったときに、オーストリアのコーチが選手2名をつれて参加したのですが、そのジュニア選手の滑りの違いをみて唖然としました。

 その感じたことをコーチの彼に話しました。彼は、レーシングテクニックは何も変わっていないと言います。違いはカービングスキーが助けてくれているだけだと。日本の選手が滑っていくラインですが、日本の選手はターンが終わると先落しで入ります。ポール通過後、抵抗をうけます。彼らのスキーは、ターンが終わるとジャンプして入ってくるのです。50センチぐらい飛ぶ人もいます。その話をしましたが、オーストリアでは基本的な部分を何一つ変えていないということでした。

 それから2年経って、志賀高原のワールドカップを見ていました。トップ5がこの通りにやっているのです。日本の選手は余分なことをするので上半身も下半身もあばれる。トップ5の選手は、何をやっても安定していて、スキーが自然に切れてくるのを待っている。時として外足外向的なものもありますが、いつも斜面の下を向いたまま待っている。それを助けてくれるのがカービングだということです。

 渡辺一樹君とジュニア強化で、オーストリアで一緒に滑った時です。最初のの段階で違いがでました。彼は先落しで入ってきて内倒ターンでいけます。ところがポールに入ってみると出てくるラインが違うのです。彼も、わかったと言っていましたが、これを技術選で使えるのかわからないと言うのです。技術選の審判員が評価してくれるかわからないと。いまだに忘れられない話です。選手を育てるという立場では、そういうリズムでないと、旗のリズムに勝てないついていけないのです。お客にたいして見せなければいけないのもあるでしょうが、その先の、スキーの本質が理解できれば、スキーの見方も変わってくるかと思います。


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